「写経(しゃきょう)」と聞くと、どのような印象を持たれますか?
心が落ち着きそう、集中力がつきそう、機会があればやってみたいなど、さまざまでしょうか。
その反面、私は毛筆が苦手だからと遠慮される方もいらっしゃいますが、間違えないように一字一字心を込めてお経を写すことが第一であり、字が上手かどうかは大きな問題ではないのです。
ところで「お写経の持つ意味は何か」と問われたら、なんとお答えになりますか?
今から約二千五百年前、お釈迦さまがまもなく亡くなろう(「涅槃に入る」とも言います)としているときのことです。
『法華経』によれば、お釈迦さまの多くのお弟子さんたちは、お釈迦さまがお亡くなりになることで教えも無くなってしまうのではないか、これから後世に教えをどのように伝えたらよいか、とても心配していました。
そこでお釈迦さまは、弟子たちの不安を取り除くため、お写経をすることやお経を読むことなど、五種類の方法を示されました。
それらを実践すれば教えは絶えることがないとお釈迦さまが自ら示されたことで、弟子たちは安心したと伝えられています。
つまり、お写経はいざというときに弟子たちの心を安定させる術(すべ)であったのです。
すると「お写経によって心が落ち着く」のは、むしろ当然のことなのかもしれません。
さて、天台宗を開かれた天台大師智顗さまは、『法華経』に説かれるお写経について、次のように解釈しました。
「お釈迦さまの教え」は放っておいたら伝わらない。「教えを伝える」のは人であり、その人を「法師」と言うのである。 『法華文句(ほっけもんぐ)』
お写経はお釈迦さまの教えを伝えるものでありましたが、お写経によって教えを広める人を「法師」という、というのです。
法師と聞くとどうしても「お坊さん」と感じてしまいますが、天台大師によるとお釈迦さまの教えを伝える人はすべて「法師」なのです。
つまりお写経をすることはまさに「法師」の行いであり、お釈迦さまの教えを古代から受け継ぎ現代に伝え広めていることに他ならないのです。
お写経をお勧め致します。
あなたの心をきれいにするために、あなたに集中力がつくように。
それだけでなく、お釈迦さまの教えを伝えるために。
お写経をすることで、私たちは「法師」であり、またお釈迦さまの弟子であることを感じて、日々の生活を送っていきたいものです。
東叡山寛永寺 教化部
6月のおはなし ~お写経のススメ~