5月のおはなし ~寛永寺 その⑩~

今回からは寛永寺の各お堂などを個別にご紹介していきます。
今回は開山堂(かいさんどう)です。

寛永寺開山堂は、現在の東京国立博物館東側に位置し、寛永寺を創建した「天海大僧正(後に朝廷より「慈眼大師(じげんだいし)」の謚号(しごう=死後、生前の行いを尊ぶ贈り名)を賜る)」を祀るお堂として正保元年(1644)に建立されました。

よって、山(寛永寺)を開いた(創建した)方を祀るお堂なので「開山堂」というのです。

そして後に遺言により、天海僧正が尊崇(そんすう)していた慈恵(じえ)大師(良源:平安時代中期の天台座主・通称、元三大師)を、寛永寺本坊内の慈恵堂(じえどう)から移し、慈恵・慈眼の二人のお大師さんを祀るようになったので、通称を「両大師(りょうだいし)」ともいうのです。

ところで、現在の開山堂の門前には、金文字で「両大師」と書かれた駒札が建ててあります。
江戸時代は、慈恵大師の画像(掛け軸)が一か月ごとに寛永寺の子院を巡っており、駒札を子院の門前に立てることで、掛け軸の所在を示していました。
この掛け軸は年に一度、10月1日に開山堂へ戻ってきます。翌2日は天海僧正の命日で、寛永寺本坊から、寛永寺の住職である「輪王寺宮(りんのうじのみや:当時、東日本で唯一の皇族)」が輿(こし)に乗って、寛永寺一山の住職と盛大なお練りをしながら開山堂へお出ましになり、法要が営まれました。
これを見物しようと、江戸市中から大勢の人々が開山堂に詰めかけたそうです。
また、それに合わせて厄除けのお札(ふだ)を授かるための行列ができたそうです。

このお札は慈恵大師が疫病神(えきびょうがみ)を調伏した姿として知られる「角大師(つのだいし)」のお姿として多くの家々の戸口に貼られ、松尾芭蕉をはじめ多くの俳句、川柳に題材として取り入れられています。
ちなみに元三大師はおみくじの発案者ともいわれており、さらには大師発祥と伝わる観音百籤(かんのんひゃくせん)、又は、元三大師百籤(がんざんだいしひゃくせん)と呼ばれるおみくじを江戸へ伝えたのが天海僧正だともいわれています。
また天海僧正には、上記の慈恵大師画像の前で三代将軍德川家光公の子授け祈願を行い、その結果みごと四代将軍德川家綱公が授かったという伝説もあります。

このように、様々な逸話やご利益に事欠かないのが寛永寺開山堂です。
また、実際にお参り頂くと、とても都心とは思えない静かで落ち着くお堂です。
どうぞ皆さまのご参拝をお待ちしております。

東叡山寛永寺 教化部

角大師の御姿