12月のおはなし ~寛永寺 その⑥~

今月は根本中堂のご本尊「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」についておはなしします。

寛永寺は創建時より東の比叡山として、様々なこと・ものを比叡山延暦寺に倣ってつくりました。
そしてそれは寛永2年(1625)の本坊落慶から70年以上が経過した元禄10年(1697)の根本中堂完成に至っても変わることはありませんでした。

延暦寺根本中堂に祀(まつ)られる秘仏薬師瑠璃光如来は、伝教大師最澄(でんぎょうだいし さいちょう)さまが比叡山で修行をされた際、自ら彫ったお仏像と伝えられています。
寛永寺もこれに倣(なら)い、本堂に薬師如来をお祀りしていますが、伝教大師さまはなぜ薬師如来を彫ったのでしょうか。

仏さまはガンジス川の砂粒より多くいらっしゃると言われています。
もちろん仏さまに優劣はなく、いずれも尊いのですが、それぞれ個性や特徴があります。
薬師如来さまは左手に薬壺(やっこ)を持ちます。薬師(くすし)とも読めるように、お薬を調合して人々を癒(いや)してくれる仏さまで、また体からは深い青(瑠璃)色の光を放つので、薬師「瑠璃光」如来と呼ぶのです。
一方、右掌(みぎてのひら)は前方に向け、さらに第四指を少し前に傾けています。それで、この指を「薬指(くすりゆび)」と呼ぶようになったという説もあります。
薬というものは、まさに今、病に苦しんでいる人を助けるものですので、薬師如来は様々な苦しみから衆生を救う、現世利益(げんぜりやく)の仏さまであると言われています。

伝教大師さまは比叡山で修行に入る際に『願文(がんもん)』という文章を作って、一乗(いちじょう)の教えを体得するまで山を下りないこと、また修行の功徳(くどく)を独り占めにせず、生きとし生けるものすべての悟りのために、布施行(ふせぎょう)に尽くすと仏さまに誓いました。
そして自ら彫った薬師如来像をご安置し、そのご利益(りやく)によって修行が成就(じょうじゅ)するよう願ったのです。
根本中堂の薬師如来には、日本全土を大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の国にしていかねばならないという誓い、法華経の一乗の精神による人材の育成、あらゆる生命が成仏(じょうぶつ)し救われることを願う、伝教大師さまのこころが込められているのではないでしょうか。

東叡山寛永寺 教化部